サステナビリティ (サステナブル)
Sustainability (Sustainable)
アメリカではごく一般的なのに、日本人にはなんとなくとっつきにくいことば、「サステナビリティ (サステナブル)」。
直訳すると、「持続可能」という意味ですが、それでもわかりずらいですよね。
簡単にいえば、サステナビリティとは環境や社会にやさしいということ。
環境面で持続可能とは、将来もずっと、現在のような環境下で人類が地球上で生活していけること。
社会面で持続可能とは、地球上のすべての人が平等に社会的恩恵を受けられること。
サステナブルということばは、元々ビジネスの世界で多く使われていました。
急激な好景気は永遠には続かないからサステナブルではないとか、堅実な成長を続けて倒産せずにずっと存続している会社はサステナブルとか。
ところが、1987年に開催された「環境と開発に関する世界委員会」という会議の報告書で、「サステナブル・デベロップメント(持続可能な開発)」という文言が使われたことをきっかけに、環境に関する用語として広く普及したのです。
同報告書では、サステナビリティを以下のように定義しています。
「持続可能な開発とは、次世代の人々のニーズを損なうことなく、現在のニーズを満たすこと。」 (環境と開発に関する世界委員会)
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なぜこのようなことが主張されるようになったかというと、現在の私たちの生活がサステナブルとはいえないからです。
私たちがこれまでどおりの生活を続ければ、子供や孫の世代に多大な迷惑をかけることになるかもしれません。
現在のペースで温室効果ガスを排出し続ければ、気候変動がさらに深刻化し、生態系の変化、海面の上昇、自然災害の多発、食糧生産量の減少、利用可能な水量の減少、害虫や疫病の拡散などさまざまな問題が起こり、人類が地球上で生きていくことが難しい時代が来ると予測されています。
現在のペースで石油や石炭や天然ガスなどの化石燃料を使い続ければ、有限であるこれら資源はいずれ枯渇し、今のような贅沢な暮らしができなくなります。
現在のペースで農薬や殺虫剤や化学物質を使い続ければ、土壌や河川・海を通して水や魚介類が汚染され、人々の健康に害を及ぼすだけでなく、飲料水や食糧不足が深刻化します。
現在でも、先進国と途上国の格差は大きく、先進国内でさえ貧しい人と豊かな人の差が拡大しています。
安全な水や必要な食糧すら得られない人々がいる一方で、食べ過ぎてはダイエットを繰り返し、特売の食品を買い過ぎては腐らせ捨てる人が大勢います。
貧困により十分な教育が受けられないと、出生率の上昇、感染症の拡大、不正な森林伐採や土地利用、密猟などが起こり、その結果、人口増加とそれに伴う水・食糧不足、環境汚染や生態系の破壊など地球規模の問題に発展します。
社会的にサステナブルでなければ、環境的にもサステナブルにはなりえないのです。
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狩猟・採取して生活するのでない限り、私たち人類の行動はすべて、自然とはいえません。
農業でさえ、人為的に作物を栽培しているのですから、自然な行為ではありません。
農業・産業革命以降、私たち人類は、自然の法則から逸脱し、自らの便益のために他の生物や地球環境を踏みにじってきました。
その結果、自然の生態系と人間の行動の間に歪みが生じ、その現象が徐々に顕在化してきたのです。
それが、気候変動、自然災害の多発、資源の枯渇、水不足、食糧不足など、今はまだ表面化し始めたばかりだけど、次世代、次々世代で深刻化するであろう人類全体に関わる大きな問題なのです。
では、どうすればよいのでしょう。
便利な生活を経験してしまった私たちにとって、今から狩猟と採取の暮らしに戻り、原始時代のような生活をするのは無理なことです。
欲しいものや便利な生活をあきらめて原始的な暮らしに戻るのではなく、これまでに培った科学技術や先人の知恵を活用し、持続可能な方法で心身ともに豊かな生活をするのです。
再生エネルギー、農薬や殺虫剤や化学添加物を使わないオーガニック食品、省エネ・節水型製品、資源のリサイクル、モノの共有、チャリティショップ・・・サステナブルな生活をするための製品やサービス、アイディアが既にたくさん出回っています。
こうした新しい製品やサービスを活用して、これ以上環境を汚すことなく、貧富の差を減らし、世界中が幸せになれるような方法で発展を続け、より良い環境と美しい地球を次世代に残して行くのです。
これが実現すれば、将来、歴史の教科書に、私たちの行いが人類の危機を救ったと書かれることになるかもしれません。
そうなれば、私たち自身も嬉しいですよね。
私たち自身のためにも、私たちの子孫のためにも、サステナビリティは必要なことなのです。
2012/02/25 訂正
2008/06/09