インド版ヴォーグの写真で論争が・・・

Vogue India

発展目覚しく、ファッション業界でも注目の国、インド。
インドにはヴォーグ・インディアもあるし、ヴィトンもグッチもショップを出しているし、ファッションとしては、いまやアメリカや日本などと変わらないレベル。

ところが、そのインドで、行き過ぎたファッションフォトに対して論争が起こっているそう。
ヴォーグ・インディア8月号で、歯がなかったり裸足だったり服も満足に着ていない「平均的」インド住民が、エルメスのバーキンやバーバリーの傘を持ったり、アレキサンダー・マックイーンの服を着たり、という16ページに渡るファッションフォトが掲載されたことが発端。

ヴォーグ・インディアとしては、この特集では、「ファッションはもう金持ちの特権ではなくなり、誰もが手に入れることができ、美しく着飾ることができる」ことを訴えている、とコメントしているそうですが、インドの多くの人はいまでは高級ブランドを身に付けられるほど裕福になってはいるものの、いまでも人口の半分が一日1.25ドルで暮らしているインドで、このような写真を掲載するのはいかがなものか、と議論が起こっているのだそう。

確かに、ヴォーグ・インディアがこうしたテーマを掲げるのも、こうした撮影をするのも、クリエイティビティの一環なのかもしれませんが、なんとなく裕福になった層によるエゴが見え隠れしているような印象を受けざるを得ません。

こうした問題はインドに限った話ではなく、急速に発展しているBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)やVISTA(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)など、多くの新興国でも、裕福な層と貧しい層との格差が生まれはじめており、こういった議論は続々と出てくることになるのではないでしょうか。

貧しい暮らしから努力の末に得た豊かな暮らしですから、大いに楽しんで良いとは思いますが、自分ばかりが良い思いをする時代はそろそろ終わりに来ているのでは。

多くの人が、寄付したり、ボランティアとして活動したり、貧富の差を少しでも無くそうと努力している裏で起こったこのような出来事。
ファッションというきらびやかな世界だからこそ、象徴的に映ったことなのかもしれませんが、これをきっかけに、お金や資本主義の意味、ファッションの意味、格差と平等の意味、いろんなことを考えてみる良い機会なのかもしれません。

ニュースリソース:ニューヨークタイムズ

Vogue India
ウエブサイト:http://www.vogue.in/

2008/09/03

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